今回は、ソニー・ミュージックアーティスツに所属する内田恭子(うちだきょうこ)アナウンサーについての情報をリサーチしていきます。
内田恭子アナは、元フジテレビアナウンサー。モデルのような顔立ちで癒やし系アナとして大ブレイク。現在は、フリーアナウンサーとして2児の子供を育てながら仕事にも精を出しています。そんな、内田アナの気になる結婚相手の夫である木本公敏氏についての情報やこれまでについてまとめています。
内田恭子プロフィール | |
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本名 | 木本恭子 |
愛称 | ウッチー |
出身地 | ドイツ・デュッセルドルフで生まれ、 神奈川県横浜市港北区で育つ |
生年月日 | 1976年6月9日(48歳) |
身長 | 163cm |
血液型 | A型 |
最終学歴 | 慶應義塾大学商学部卒業 |
職歴 | 元フジテレビアナウンサー(1999年~2006年) |
所属事務所 | 有限会社Kmark(ソニー・ミュージックアーティスツにマネジメント委託) |
活動期間 | 1999年~ |
推定年収 | ? |
推定カップ | Dカップ |
趣味
茶道、料理、テニス、海外ドラマ、本屋めぐり、ピアノ、愛犬と遊ぶこと、読書
好きな食べ物
チョコレート、お漬物
好きな本
風と共に去りぬ、ジェーン・エア
同期
・大橋マキ(フリー)
・長谷川豊(フリー)
出演番組(過去を含む)
・TBS系『ゴゴスマ -GO GO!Smile!-』水曜コメンテーター
・テレビ東京系『未来世紀ジパング』MC
・BSフジ『内田恭子のBeautiful Life~美女の流儀~』
内田恭子アナの夫(旦那)は木本公敏氏!若い頃や子供や自宅は?(元フジテレビ)
内田恭子アナウンサーの経歴。
内田恭子アナウンサーの経歴は、商社勤務の父親の仕事の都合で当時在住していた旧西ドイツ・デュッセルドルフ生まれ。2歳の時に帰国しています。
その後、小学5年生から高校2年までは、アメリカ・シカゴで過ごしています。ワルデン小学校(Walden Elementary School)、イリノイ州デアーフィールド高等学校を経て、神奈川県立外語短期大学付属高等学校に編入。
慶應義塾大学商学部を卒業後、1999年4月にフジテレビにアナウンサーとして入社しています。
(高校時代)
兄弟には兄がいます。名前は、生まれた当初「杏子」にする予定でしたが、「杏」が当時人名用漢字の中に入っていなかったため「恭子」となったといいます。
出生はドイツですが、2歳の時に帰国したためにドイツ語はまったく話せないそうです。アメリカ時代のシカゴ双葉会日本語学校(補習校)の同期生には、TBSの豊田綾乃、元日本テレビの小野寺麻衣がいました。
また、アメリカから帰国した際には日本語の方が怪しくて、アナウンサーになったら英語を使えると思い、アナウンサーを目指すようになったといいます。
就職活動時に知り合った元TBSの海保知里、テレビ東京の水原恵理とは仲がよく今でも交友があるようです。
内田恭子アナウンサーのフジテレビ時代。
1999年にフジテレビ入社後は、『FNNスーパーニュース』のフィールドキャスター、『笑っていいとも!』のテレフォンアナウンサーなどを担当しています。
2001年4月からはスポーツ情報番組『すぽると!』、スポーツバラエティー番組『ジャンクSPORTS』にMCとしてレギュラー出演。
その癒し系のルックスから「ウッチー」の愛称で親しまれ、フジテレビの看板アナウンサーとして活躍しています。
2002年には、『第18回FNSアナウンス大賞新人部門部門賞』を受賞しています。
また、新人の頃には、まだ大学生気分が抜けていなかった為、自分たちの歓迎会で2次会があることを知らず、当時付き合っていたボーイフレンドとのデートの約束を優先して行かなかったといいます。
内田恭子アナの結婚相手の夫(旦那)である木本公敏氏との馴れ初めについて。
内田恭子アナは、2003年春から交際していた吉本興業社員で3歳年上の木本公敏(きもと・きみとし)氏と2006年1月10日に婚約を発表しています。そして、同年3月31日にはフジテレビを退社し、フリーアナウンサーに転身。同年7月23日(当時30歳)には、東京・恵比寿のウェスティンホテルで結婚式を執り行っています。
夫の木本公敏氏の経歴は、1973年生まれ、兵庫県宝塚市出身。関学学院中学部・高等部、関西学院大学商学部を卒業後、1996年に吉本興業に入社。大阪時代は、ハイヒールのマネージャーを担当。東京に転勤後は、ロンドンブーツ1号2号やダウンタウン・浜田雅功のマネージャーなどを担当。学生時代には、中学部時代からアメフトの選手として活躍した身長180cm、体重75kgのがっちりしたスポーツマンタイプの男性です。
2人が出会ったのは、2000年頃に『ジャンクSPORT』で、浜田と共演していた頃であり、内田アナの方が本木氏に一目惚れしたということです。その後、1年位は特に何も進展はありませんでしたが、内田アナと同期の飲み会の席に木本氏が現れ、隣同士の席に座ったことで急接近。本格的に交際がスタートしたのは2003年の春でした。その後も交際は順調に続き、2006年1月頃に木本氏からプロポーズをされ承諾。そして、結婚式の司会は1年後輩の千野志麻と元上司の露木茂が務めています。
2020年1月1日放送の日本テレビ系『今夜くらべてみました』に出演した際には、夫との馴れ初めについて語っています。内田アナによると『すぽると!』のキャスターに就任した際に、先輩の木佐彩子に「スポーツキャスターをやるのでアドバイスないですか?」と聞いたところ、「スポーツ選手との飲み会に行かなくていいから。断っちゃっていいから」と言われ、それを真に受け、全部断っていたところ、1年間男性からの誘いを全く受けなかったといいます。そんな寂しい思いをしていた時期に、初めて食事に誘ってくれたのが今の夫だったと明かしています。
また、共演者で吉本所属の後藤輝基によると、当時吉本のマネージャーが、第一線の女子アナと結婚したということで「全吉本のマネージャーがざわついた」といいます。
結婚当時には、週刊誌に内田アナは年収1500万円、木本氏の方は700万円と推測されており、この2人の収入差に「格差婚」などと言われていました。
しかし、木本氏は、2012年6月20日の吉本興業の株主総会と取締役会で役員人事の発表で吉本興業の子会社である『よしもとクリエイティブ・エージェンシー』の執行役員取締役に38歳という若さで抜擢。週刊誌では将来の社長候補とも言われ、年収も3倍(約2000万円)になったと報じられています。
また、内田アナによると夫から要所要所でプレゼントをもらうといい、その際に一緒に手書きの手紙ももらうといい、それがいつも嬉しいと述べています。
フリーでの活動や子供について。
2006年にフジテレビ退職後も引き続き『ジャンクSPORTS』、『タモリのジャポニカロゴス』に出演しています。そして、4月よりトークバラエティー番組『グータンヌーボ』(関西テレビ制作)に司会としてレギュラーで出演しています。
著書も複数出版しており、2007年12月20日『内田恭子のやさしいおもてなし』(ワニブックス)、2008年6月27日『チョコレートと犬とベッド』(幻冬舎)、2009年12月4日『スッピンピンノココロ』(エフエム東京)などをリリースしています。
2019年時
その後、2010年4月12日に第1子となる男児を出産。2013年1月10日には、第2子となる2830gの男児を出産しています。
現在は、東京都にある高級住宅地・広尾に3階建てで、土地代も合わせると、推定1億8千万円の豪邸を建て、子供たちも「幼稚園御三家」と呼ばれているうちの1つである若葉会幼稚園に通っていると言われています。
2014年には、ベストマザー賞を受賞しています。
その一方では、2014年8月3日放送のNHK大河ドラマ『軍事勘兵衛』第一話に、織田信長の妹である”お市の方”役で出演しています。
2017年10月10日からは、BSフジで冠番組『内田恭子のBeautiful Life~美女の流儀~』が放送されています。(~2018年9月18日)
また、同年12月18日からは、テレビ東京系経済報道番組『未来世紀ジパング』にタレント・SHELLYの後任としてMCを務めています。(~2018年5月2日)
2019年4月からは、ソニー・ミュージックアーティスツに所属しています。2021年からは、テレビ東京『よじごじDays』に不定期で出演しています。
2022年3月からは、TBS系『ゴゴスマ -GO GO!Smile!-』に水曜コメンテーターとしてレギュラーで出演しています。
2023年には、東京を中心に認可保育園を運営する「KIDS SMILE HOLDINGS」社外取締役に就任しています。
内田恭子アナウンサーまとめ。
・海外生活が長い帰国子女。
・フジテレビ時代は看板アナウンサーとして活躍した。
・吉本興業役員の木本公敏氏と結婚。2児の母親。
今後も内田恭子アナウンサーの活躍に注目です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。