今回は、生島企画室に所属する吉川美代子(よしかわみよこ)アナウンサーについての情報をリサーチしていきます。
吉川美代子アナは、元TBSアナウンサー。TBSを定年退職後、系列会社であるキャストプラスの取締役を務め、情報番組のコメンテーターやバラエティー番組などにも出演するなど活躍の場を広げています。そんな、吉川美代子アナの若い頃からの経歴や2度の結婚、離婚事情などの情報をまとめています。
吉川美代子プロフィール | |
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出身地 | 神奈川県横浜市 |
生年月日 | 1954年5月8日(70歳) |
身長 | 160cm |
血液型 | AB型 |
最終学歴 | 早稲田大学教育学部卒業 |
所属事務所 | キャスト・プラス→TBSスパークル→生島企画室 |
職歴 | TBS編成局アナウンス部担当部長 →同部スペシャリスト局長 →同アナウンス部担当局長 →経営企画室担当局長・キャストプラス出向 →キャスト・プラス取締役 |
活動期間 | 1977年~ |
推定年収 | ? |
推定カップ | Bカップ |
趣味
芸術鑑賞、ジャズを歌うこと、ラッコや海洋動物にも造詣が深い。
資格
教員免許(社会)
同期
・神津栄子(旧姓・浅井)
・三雲孝江
吉川美代子アナの若い頃や2度の結婚離婚経験で子供は?(元TBS)
吉川美代子アナウンサーの経歴。
子供の頃の写真
吉川美代子アナウンサーの経歴は、神奈川県横浜市出身、神奈川県立横浜平沼高等学校を経て、早稲田大学教育学部を卒業後、1977年4月に東京放送(TBS)にアナウンサー17期生、9年ぶりの女性アナウンサーとして入社しています。
中学、高校時代には放送部に所属。大学在学中には、成績優秀により大隈奨学金を授与しています。また、当時は「アナウンサーは狭き門で自分にはコネもないし、現実として難しそう」と思い、父親が中学教師だった事もあって、同じ中学の社会科教師を目指し、教員免許を取得しています。
若い頃の写真
若い頃には容姿が似ていたことから「TBSの松坂慶子」と呼ばれていました。入社2年目の1978年から音楽番組『ザ・ベストテン』の“追っかけウーマン”(中継リポーター)を務めており、最も多く行ったのは、山口百恵の現場でした。
1981年1月、3月には、アナウンサーと国会記者クラブの記者を兼務しています。また、元々は報道志望であり、帰宅時の道のりで実況の訓練をするなどの努力を重ね、入社6年目の1983年(当時28歳)に『JNNおはようニュース&スポーツ』で、TBS初の女性キャスターに就任しています。
翌1984年には『JNNニュースコープ』平日版のメインキャスターに就任して、女性ニュースキャスターの草分け的存在になります。
しかし、当時は「女には原稿を読ませるな」と言われるような男社会であり、原稿の読み間違えがないように細心の注意を払うなど、極度のプレッシャーにより円形脱毛症や胃けいれんに悩まされる日々が続いたと言います。
2000年には『CBSドキュメント』のキャスターを務めます。また、当時から『ウォッチ!』、『ピンポン!』、『イブニングワイド』、『みのもんたの朝ズバッ!』などのTBSの情報番組でコメンテーターを務めるようになります。その一方ではTBSアナウンススクールの校長を12年間務めています。
2014年5月に37年間勤務したTBSを定年退職して、翌6月には、キャスト・プラスの取締役に就任(講師・カルチャーコメンテーターとの兼務)。その後、NPO「全国万引き犯罪防止機構」広報委員会委員長、警察大学校講師などを務めています。
また、他局のバラエティー番組に出演するなど活躍の場を広げています。
2017年4月には、京都産業大学現代社会学部の客員教授に就任しています。
2022年4月1日には、TBS1期先輩のフリーアナウンサー生島ヒロシが会長を務める芸能事務所「生島企画室」に移籍しています。今秋からアナウンサー養成の「生島アカデミー」の講師も務める予定だといいます。
吉川美代子アナの2度の結婚離婚や子供について。
吉川美代子アナは、今までに2度結婚し、2回とも離婚しているバツ2である事を公言しています。
1回目の結婚は29歳の時で、アメリカ赴任当時に知り合った同じ年齢のイタリア系のアメリカ人の実業家。週刊誌の情報によると年収は1億円以上あったと言われています。
しかし、同居していたのは僅か1年くらいだったといい、離婚の際には当時は男性側の生まれた国の法律に基づいた為、お互い弁護士を立てたり大変な思いをしたといいます。
離婚理由については、アナウンサーという仕事柄、勤務時間が不規則であり、家庭と仕事との両立が上手く行かなかった為、徐々に夫とすれ違いが生じてしまったからだといいます。
結婚当初夫は「仕事を続けていいよ」と理解を示していましたが、実際には違かったといいます。本人は「それを真に受けて、結婚したらやっぱり主婦として家事は100%私だし、休みの日も自分が映画を見たいと思った時にもやっぱり夫の方に合わせなければいけないとか、本当に自分の時間が取れない」と明かし、また、「(仕事で)何かあった時、遅くなったり急な事件で休日出勤しなければならない時もある。そうすると、まあ文句言うわけですよ。やっぱり夫は怒るんですよね」と、当時を振り返り「そうすると、仕事しながらはやっぱり大変だなと感じるようになり、その辺からお互いうまくいかなくなっていった」と説明しています。
2回目の結婚は、美術商を営む日本人男性で、週刊誌の情報によると年収はこちらも1億円以上と言われています。離婚原因は両方とも仕事が忙しくてすれ違いの状態が続いた為だと言われています。また、子供は授からなかったようです。
2018年4月17日放送のフジテレビ系トークバラエティー『おかべろ』にゲスト出演した際には、結婚トークになり、今後については「2回も失敗していたら、3回やろうなんて思いません!」「もう、いいですね」と答えています。さらに一緒に出演した友人の鉄道コラムニストの東香名子からは「吉川さん、人間の男性に興味ないんですよ」と言われています。
ちなみにこれまでに、お付き合いした男性のタイプは、「おとなしい感じで、すぐ病気で寝込みそうなタイプ」と明かしています。
元TBS山本文郎とのエピソード。
http://t.co/EWEWU7IOKx 元TBSアナ山本文郎さん急死 73歳で31歳差再婚が話題に フリーアナウンサーの山本文郎(やまもと・ふみお)さんが26日午前2時6分、肺胞出血のため、千葉県内の病院で死去した pic.twitter.com/6fahKM9TtO
— magicalpowermako (@magicalmako) 2014, 2月 28
吉川アナは、子供の頃からTBSラジオをよく聴いており、当時からアナウンサーに憧れていたそうです。
また、中学時代には、TBSラジオ『こども音楽コンクール』に出演したことがあり、生徒を代表してブラスバンド部の紹介をした際、司会の山本文郎(当時TBSアナウンサー)に、「素晴らしい紹介だったよ。君は将来の吉川アナウンサーですね」と、褒めらたことが嬉しくてアナウンサーになることを意識したといいます。
その後、東京放送(現・TBS)アナウンサー採用試験の場で、3次試験の面接官を務めていた山本と再会しています。そこで、吉川アナは事前に考えていた自己紹介内容を急遽変更し、中学時代に山本から言われた一言がきっかけでアナウンサーを目指すようになったエピソードを伝えたところ◎採点評価で見事合格しています。
中学時代からの縁で、入社以降も山本からは度々声をかけて励ましてもらうなど親しく接してもらい吉川アナは山本を「文(ぶん)」さん、山本は吉川アナを「美代子」と呼び、娘のように可愛がられたといいます。そして、入社2年目には、アナウンサーを志すきっかけとなった『こども音楽コンクール』の司会を山本から引き継いでいます。
また、報道という慣れない仕事で思い悩む吉川アナに、山本は頻繁に声をかけて励ましてくれたといいます。吉川アナもいつも楽しんで仕事をしている彼の姿に刺激を受け、目標にしていたといいます。
そして、山本が、1994年にTBSを退社してフリーになってからも交流は続き、2008年に山本が31歳年下の女性と再婚し、「美代子、俺の奥さんの料理は美味いから食べに来いよ」と誘われていましたが、なかなか都合がつかず行けずにいるうちに山本は、2014年2月26日に死去しています。そのことに吉川アナは、約束を果たせなかったことを今でも悔やんでいると述べています。
人物・他のエピソードなど。
・2023年12月29日放送の『全力!脱力タイムズ年末SP』では、他のレギュラー陣達と人生初のセーラー服姿で今年ブレイクした「新しい学校のリーダーズ」のオトナブルーを歌った。
・TBS初の女性キャスター時代には、衣装やヘアメイクなどの女子アナへのサポートがまだなく衣装も全部自前でメイクも自宅や会社のトイレでやっていたという。
・ラッコやカワウソなどの海洋生物が大好きで、休日には頻繁に水族館に足を運ぶ。趣味が高じて1992年には、著書『ラッコのいる海』(立風書房)を出版している。
吉川美代子アナが警鐘「日本からラッコがいなくなる日」 | FRIDAYデジタル
現在、日本の水族館で飼育されているラッコはたったの4頭。「ニュースキャスターとしてではなく、研究者として言わせてください!」 https://t.co/jGlSNW6LOm #インタビュー #ラッコ
— FRIDAYデジタル (@FridayDigi) July 4, 2021
・2001年から2014年までの間には、TBSアナウンススクールの校長を務めた。教え子である小林麻耶、青木裕子、田中みな実については、小林については「入る前からアイドル的な人気で、社員としてはやりづらかったと思う。フリーに転向して良かった」と話し、青木については「最初から朗読が優しくてうまかった。自分の子供に読み聞かせるようだった」と称賛している。
田中については「負けん気が強くて努力家。私が注意したことは次回、完璧に直してくる。」と高評価。その一方では「ただ、タレント的な使われ方、”女子アナというブランド”を演じさせられたというところがあって、本人もそれを解っていて、自分のやっていることが『女性アナウンサーを汚している』と思い込んでおり、自分や先輩アナ達がいると『アナウンス部に入りづらかった』と話していた」と述べている。
・2013年12月13日には『アナウンサーが教える 愛される話し方』(朝日新書)を出版している。
・2014年5月31日に、TBSを定年退職となり、当日TBSテレビ『サワコの朝』にゲスト出演。美しい日本語を伝えていくため「最後の砦として局アナがちゃんとしなければいけない」との責任感を告白。また、最近の若手アナウンサーはインターネット上の評価を気にし過ぎていると指摘し、「2ちゃんねるで自分の評判をチェックしている暇があったら、アナウンサーとしての努力をしてほしい」と日々の勉強を忘れずに技術を磨いてほしいと“苦言”を呈している。
・2017年2月20日に放送された日本テレビ系『人生が変わる1分間の深イイ話』に出演した際には、自身に「がん」ができた事が発覚し、手術を受けていたことを告白。本人によると「ごくごくごく初期のがんが見つかったんです」とし、深刻な病状ではなかったことを強調。告知を受けた時には「冷静に受け止めることができた」と心境を説明したが、実際に診察を終えて自動精算機に診察券を入れようとしても手が震えて入れることができなかったと振り返った。すでに手術と抗がん剤治療を終え退院。現在は半年に1回、検査を受けており、術後の経過は良好だと明かした。また、免疫力をアップするために「血行促進」や「冷え性」などを改善するために20種以上の漢方薬で免疫力を高めていると明かし「再発が怖い。両親もがんで亡くしている」と告白している。
・その後、2023年11月のインタビュー記事によると45歳頃から更年期症状に悩まされ、45歳で子宮筋腫で子宮、卵巣、卵管を摘出。57歳で初めて大腸ポリープ発見。58歳の時に腟がんの手術。その後、60代になって便秘と下痢を繰り返すようになり、不安に。64歳で大腸がん発見、切除。65歳以降は、毎年、大腸内視鏡検査をしている。
・2019年には、TBS系バラエティー番組『林先生が驚く初耳学!』(2019年2月17日~11月24日)において、東京キー局の女性アナウンサーを目指している女性達が、採用試験合格を目指すという挑戦企画「絶対キー局!吉川美代子先生の女子アナ学」の講師を務めた。
吉川美代子アナウンサーまとめ。
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・女性キャスターの草分け的存在。
・若手女性アナウンサーに苦言を呈している。
・2度の離婚を経験している。
最近ではバラエティー番組などにも幅広く活躍している吉川美代子アナの今後の活躍にも注目です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
吉川美代子
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