今回は、元NHKの久保純子(くぼじゅんこ)アナウンサーについての情報をリサーチしていきます。
久保純子アナは、NHK時代から「クボジュン」の愛称で親しまれ、そのかわいいルックスでアイドル的な人気を誇っていました。そして、NHK退局後は、フリーアナウンサーとして活動するほか、ユネスコ世界寺子屋運動広報特使など様々な分野で活躍しています。
久保純子プロフィール | |
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本名 | 清重純子 |
愛称 | クボジュン |
出身地 | 東京都三鷹市育ち |
生年月日 | 1972年1月24日(52歳) |
身長 | 158cm |
血液型 | A型 |
最終学歴 | 慶應義塾大学文学部英米文学科卒業 |
職歴 | 元NHKアナウンサー |
活動期間 | 1994年~ |
ジャンル | バラエティーなど |
家族 | 夫、長女、次女 |
推定年収 | ? |
推定カップ | B |
趣味
旅行、映画鑑賞
資格
英検1級、モンテッソーリ教育国際免許(保育士)
所属事務所
「ケーセブン」(2007年時)
同期
・鹿島綾乃
・高橋美鈴
・石井麻由子(新潟→東京アナウンス室→名古屋→東京アナウンス室→退職シンガポール在住→復職日本語センター)
・品田絵美(鹿児島→広島→退職)
出演番組(過去含む)
・文化放送『久保純子My Sweet Home』
久保純子アナは現在もかわいい!夫(旦那)や子供や家族についてなど
久保純子アナウンサーの経歴。
久保純子アナウンサーの両親は、父親、母親ともに日本テレビにアナウンサーとして勤務していました。
父親の久保晴生氏は、元日本テレビアナウンサー(元アナウンス部長)、『日本テレビアナウンスカレッジ』の初代学長で、後に『日テレ学院』のスーパーバイザーを務めています。
母親も元日本テレビアナウンサーの久保淑子氏(旧姓:加藤)。退職後は自宅で英語教室を経営しています。
家族構成は両親と4歳年上の兄がいる4人家族です。
久保純子アナウンサーの小・中・高校生時代。
久保純子アナは、小学生時代の4年間はイギリス、高校時代はアメリカで過ごした帰国子女です。小学生時代には、イギリスで人種差別的ないじめを受けており、帰国後の日本の公立中学校でもいじめを受けていた事を2006年11月26日の『朝日新聞』の朝刊で告白しています。(中学時代は男子からモテモテで女子生徒たちに嫉妬される存在だった)
中学生の頃に同じ学習塾で、席が隣になったのがきっかけで、木佐彩子(元フジテレビアナウンサー)と親友になったといいます。
三鷹市立第三中学校を経て、東京都立調布北高等学校に進学。高校時代には、アメリカ・ウィスコンシンの高校に留学。留学先では、ベビーシッターの家にホームスティをしていましたが、毎日何人もの子供たちの世話をさせられ大変だったといいます。3年生の時、ウィスコンシンからニューヨーク州・バッファローのニューヨークパイオニア・セントラルハイスクールに転校しています。
久保純子アナウンサーの大学時代。
アメリカから帰国後は、上智大学比較文化学部比較文化学科を経て、慶應義塾大学文学部英米文学科を卒業しています。
大学時代の18歳当時には、父がアナウンス部長を務めていた日本テレビで、イベントコンパニオンのアルバイトをしていた経歴をもち、当時『午後はおもいッきりテレビ』の司会をしていたみのもんたと一緒に仕事をしたこともあります。
また、東京ドームでプロ野球・読売ジャイアンツのマスコットガールのアルバイトをしており、ホームランを打った選手にジャビットのぬいぐるみを渡す場面が何度か、後にレギュラー出演した『ウチくる!?』(フジテレビ系)で放送されています。
ちなみに、このアルバイトは選手がホームランを打たないと仕事が無いので、待機中の時は裏で勉強をしていたようです。その時に、当時巨人投手の桑田真澄が、勉強の内容に興味を持って見に来たそうで「勉強に興味を持っていた選手は桑田さんだけだった」と語っています。
また、1991年の『世界陸上東京大会』では、英語が堪能なために、通訳の仕事をしていた経験もあります。
就職活動では、NHK入局試験の時の面接官が加賀美幸子アナウンサーで、「全身が言葉という雰囲気が体から溢れてる」と高評価を得て採用試験に合格したといいます。
後に「加賀美さんがいなかったら、今の久保純子はなかった」と感謝していて、自身の結婚の際には仲人を加賀美アナに務めてもらう程、親交は深いといいます。
久保純子アナウンサーのNHK時代。
1994年にNHKに入局し、初任地はNHK大阪放送局。阪神淡路大震災などのリポートや取材を担当していました。そして、2年後の1996年に東京アナウンス室へ異動しています。
入局当初からその可愛らしいルックスで当時のNHKでは珍しく「アイドルアナウンサー」と称され、受信料制度周知キャンペーンなどに起用され人気を博します。
東京アナウンス時代には、『NHKニュース おはよう日本』のスポーツコーナーや『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』などの人気番組を担当しています。
そして、1998年~2000年まで、3年連続で『NHK紅白歌合戦』の紅組司会に抜擢されています。1998年に初司会を務めた際には、大ファンの郷ひろみの曲紹介を例外的に久保アナが行っています。
久保純子アナと夫(旦那)の清重和弘氏との馴れ初めや出産などについて。
プライベートでは、2000年1月24日に慶應義塾大学法学部政治学科の同期生で当時から交際していた大手広告代理店・電通に勤務する清重和弘氏(当時29歳)と入籍しています。
そして、同年4月に東京・三鷹市のルーテル学院大のチャペルで挙式を執り行っています。結婚式の司会は、NHK、慶應義塾大学の先輩で、当時NHK内で唯一結婚を相談していた宮本隆治アナにしてもらっています。
2人の馴れ初めは、元々は慶應時代からの同期生でしたが、知人を介して再会を果たし、それから1週間後に初デート、1ヶ月後には結納をして3ヶ月後に結婚というスピード婚でした。夫の清重氏の顔写真などはネットに流出していませんが、関係者によると身長が高くスポーツマンタイプのイケメンだといいます。
翌2001年の8月22日には、妊娠が発覚し、出産準備に入るため『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』などレギュラーを務める番組を10月放送分から降板して産休に入る事を発表しています。
その後、翌2002年に1月7日に第1子となる長女・七菜(なな)を出産。同年6月にNHKを退職してNHK契約職員(専属契約。事実上嘱託)になります。
この当時には、母親が日テレ退社後に経営していた英語塾の手伝いをしていて、週の2日をアナウンサーに、2日を塾に、3日間は完全に母親という生活を送っています。
2003年4月6日に育児休暇後1年半ぶりに『クイズ見ればナットク!』でレギュラー復帰を果たしています。
その後、2004年3月31日を以ってNHKとの契約満了。フリーアナウンサーとして活動を開始します。
久保純子アナのフリーアナウンサー時代。
2004年には、初の著書 『なな転び八起き』(グラフ社刊)を出版しています。
同年7月には、日本武道館で、服飾デザイナーで演出家・山本寛斎がプロデュースしたミュージカル『アボルダージュ~接舷攻撃~』に出演。女優業に初めて挑戦しています。
フリー転向後、民放テレビ番組初出演は、TBS系『アテネ五輪2004』の中継キャスターでSMAPの中居正広と共演しています。
久保純子アナは、子供番組を作りたくてテレビ関係の仕事を志望したほどの子供好きで、NHK時代には子供番組の企画書を書いて提出したこともありましたが叶いませんでしたが、同年10月3日からTBS系『クボジュンのえいごっこ』で司会を務める事になり、昔からの夢が叶います。また、翌2005年に同名の著書書籍をリリースしています。
その一方では、2004年10月9日~2008年9月20日まで、TBS系『ブロードキャスター』にメインキャスターとして出演しています。
2005年には、日本テレビ系『ザ!情報ツウ』の「と〜く!ツウコーナー」にゲスト出演。父・晴生氏撮影によるプライベート映像や、本人撮影による母親が開いている英語教室の様子などが紹介されています。同年11月には著書『久保純子のニューヨーク街歩き』を出版。
2006年1月~2011年7月23日までは、文化放送のラジオ番組『久保純子のライオンミュージックサタデー』のパーソナリティを務めています。
2007年4月15日からフジテレビ系『ウチくる!?』に中山秀征のパートナーとしてレギュラー出演。2007年10月には著書『いっしょにつくろう―わたしのうちの、あったかごはん』を出版しています。
2008年3月11日放送の『ウチくる!?』の番組ロケ中に、現在第2子を妊娠中であることを報告しています。本人は「予定日近くまでは仕事をしたい」と望んでおり出産ギリギリまで仕事をしています。出産予定日は8月中旬との事でしたが、予定が早まり7月24日に次女を出産しています。
翌月の8月23日にはTBS系『ブロードキャスター』で早くも仕事復帰を果たしています。
2009年9月からは、日本ユネスコ協会連盟ユネスコ世界寺子屋運動広報特使を務めています。
2009年12月30日には、円満退職から6年ぶりにNHKの番組『紅白歌合戦AtoZ』、2010年1月3日には『ワンダー×ワンダー』に出演しています。
夫の米国転勤に家族で同伴。
2011年7月16日放送の『久保純子のライオンミュージックサタデー』の番組中、夫の米国転勤(任期は1年半)に家族で同伴することを報告。
翌8月21日放送回を以って『ウチくる!?』を卒業。他のレギュラー番組をすべて降板して渡米しています。教育に高い関心を持ちアメリカ滞在中には、モンテッソーリ教育国際免許(保育士)を取得しています。
その後、帰国後の2013年10月6日放送の『ウチくる!?』に元NHKアナウンサー住吉美紀、宮本隆治と一緒に出演し、再び日本で活動しています。
2014年4月からは、NHKEテレ『ハートネットTV』のWEB連動企画「チエノバ」にレギュラー出演しています。(~2017年3月9日)
また、TOKYOMX『東京クラッソ!』のMC(~2016年9月24日)、文化放送『久保純子My Sweet Home』、10月2日から文化放送のラジオ番組『くにまるジャパン』の水曜日(~2015年3月26日)を担当しています。
2016年4月からは日本テレビ系『スッキリ』のコメンテーターを務めています。
同年秋からは、再び夫の転勤に伴いアメリカ・ニューヨークに在住しています。
2017年11月4日には、BS日テレ『おぎやはぎの愛車遍歴』に出演しています。
久保純子の愛車遍歴
1992年(20歳)フォード フェスティバ
1996年(24歳)メルセデス・ベンツ C200
2002年(31歳)メルセデス・ベンツ Eクラス ステーションワゴン
2014年(38歳)トヨタ ハイランダー
2016年(40歳)ポルシェ カイエン
また、不定期でNHKBS1『ワールドスポーツMLB』に現地から中継で出演しています。
その一方では、モンテッソーリ教育に感銘を受け、幼稚園の国際免許を取得。将来日本でモンテッソーリ教育の幼稚園を設立したいと述べています。
2019年6月には、SBIホールディングス株式会社の新任社外取締役に就任し、「畑違い」の起用ということで話題になりました。(同社代表取締役の北尾吉孝とは同社プレゼンツBSフジ『この国の行末2』で2019年1月に共演)
同年9月21日には、テレビ東京の『出没アド街ック天国』にゲストで出演しています。
2021年7月13日には、NHKで放送されたアメリカMLBオールスターゲームの前夜祭・ホームランダービーの生中継に現地リポーターとして出演。日本選手で初出場となったエンゼルス・大谷翔平選手にインタビューをしています。
2022年5月21日には、日本テレビ系『マツコ会議』にニューヨークの自宅からリモートで出演し、同年2月から実際に幼稚園教員としての活動を始めたことを明かしています。
2024年3月28日には『新プロジェクトX 挑戦者たち 放送直前スペシャル』に初代MCとしてVTRで出演しています。
久保純子アナウンサーまとめ。
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・キュートなルックスでアイドルアナウンサーとして人気を博した。
・3年連続『NHK紅白歌合戦』の紅組司会を務めた。
・2000年に電通社員の清重和弘氏と結婚。2人の娘がいる。
・50歳を機に幼稚園教員を始めた。
今後も久保純子アナウンサーの活躍に注目です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。