楠田枝里子アナの結婚歴や年齢や出身高校大学は?(元日本テレビ)

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今回は、フリーアナウンサーの楠田枝里子(くすたえりこ)アナウンサーについての情報をリサーチしていきます。

 

楠田枝里子アナは、元日本テレビアナウンサー。退職後は、フリーアナウンサー、タレント、司会者、エッセイスト、翻訳家、サイエンスライターなど様々な分野で活躍しています。

 

楠田枝里子プロフィール
出身地三重県伊勢市
生年月日1952年1月12日(72歳)
身長170cm
血液型A型
最終学歴東京理科大学理学部第一部応用化学科卒業
職歴日本テレビアナウンサー→フリーアナウンサー
活動期間1974年~
ジャンル情報・バラエティー番組
推定年収?
趣味

消しゴム収集、ダンス観賞、天体観測、絵画観賞、ドライブ、海外旅行、ワイン、パソコン、帽子

特技

 英語、ドイツ語、絵画 

同期

小池裕美子

・松永二三男

資格

名誉ソムリエ

出演番組

・フジテレビ『バイキングMORE』

楠田枝里子アナの結婚歴や年齢や出身高校大学は?(元日本テレビ)

楠田枝里子アナウンサーの経歴。

 

楠田枝里子アナウンサーの経歴は、三重県伊勢市出身、三重県立高等学校を経て、東京理科大学理学部第一部応用化学科を卒業後、1974年に日本テレビに入社しています。

 

同局では、トーク番組『おしゃれ』(1976年4月~1982年3月)、『金曜娯楽館』(1980年10月~1981年3月)などの番組で司会を務め、1981年秋に同局を退社。

 

 

フリーアナウンサー、エッセイストに転身し、同年10月からフジテレビ系『なるほど!ザ・ワールド』の司会を1996年3月の最終回まで務めています。

 

 

一方では、1990年7月から2013年3月まで『世界まる見え!テレビ特捜部』→『世界まる見え!DX特別版』の司会を担当しています。

 

また、フジテレビ系『FNS歌謡祭』の司会も1990年から2004年までの14年間務めています。

 

 

2021年現在はフジテレビ系『バイキングMORE』金曜日に準レギュラーで出演しています。

 


楠田枝里子アナの結婚歴や年齢は?

 

楠田枝里子アナは、これまでに結婚歴は一度もなく2021年現在独身です。2017年12月1日放送のTBS系情報番組『ビビット』の「わたしが結婚しないワケ」というコーナーに出演した際には、結婚しない理由については「若い頃から結婚願望はなかった」「私は人を愛することに契約書はいらない」などと述べています。

 

また、過去には交際していた男性からプロポーズされたこともあったそうですが「なんで今の状態じゃダメなのかがわからなかった」と感じたそうです。一度は結婚してもいいかなとゆらいだことはあったそうですが、冷静に自分を観察した時に、仕事がうまくいっていなかったことに気づき、「私は逃げ場を探しているのかもしれない。結婚を逃げ場にしてはいけない」と自分を厳しく律したといいます。

 

また、結婚する女性の負担について疑問を感じているといい、女性が結婚によって姓が変わることに対して、銀行口座や、その他名義の手続きなど様々な労力と負担がかかると指摘。「まだ夫婦別姓が認められていないて、なんてこの国は遅れているんだろう」と話しています。

 

そして、「『一億総活躍社会』なんて耳障りのいい言葉を使いますけど、女性にばかり負担や不利益を押し付けておいて、女は結婚もしなさい、子供も産みなさい、子育てもしなさい、そして仕事も頑張りなさいって、ちょっと欲張りすぎじゃない?」と持論を展開しています。

 

また、楠田アナはこれまで年齢を非公表にしていましたが、年齢を聞かれた際に「今年、前期高齢者になりました。65歳」と明かしています。そして公表しなかった理由については「日本人ってとかく年齢でその人を判断するという悪い癖があるじゃないですか。私は『いくつになろうと私は私』って考えていたので」と説明しています。

 

人物・エピソードなど。

 

・父親は日曜画家だった。母親は栄養学の講師。2人兄弟の長女で医師の弟がいる。

 

・幼稚園の頃からクラシックバレエを習っており、当時の夢はバレリーナ。しかし、小学5年生の時に先生に「あなたはバレリーナになるには大きくなり過ぎました」と言われて断念した。

 

・厚生中学校時代にはバレーボール部に所属。高校時代には、新聞部とバスケットボール部で活躍。大学時代は天文同好会に所属し、毎月のように八ヶ岳へ観測に行っていた。コンピューターのプログラミングに熱中した。また、家庭教師と電話アンケートのアルバイトをしていた。

 

・日本テレビ新人時代は、初めてテレビに出演した時に原稿を読めなかったり、マイクのボリューム操作を間違えたりするなど始末書を書くことが多かったという。その為かトーク番組のアシスタントやバラエティ番組の司会を務めることが多かった。失敗の連続で自分は向いていないと思い、入社3ヵ月で辞表を書いた。以後3年間辞表を懐に抱いて勤務していた。

 

・芸能界きっての消しゴムコレクターとして知られており、小学生の頃から実用性を問わず、国内外からありとあらゆる形状の消しゴムを収集。1999年には『消しゴム図鑑』という本を出版。劣化を防ぐため、窓に紫外線をカットするフィルムを張るなどした別室に保管、部屋の照明も美術館等で採用されている専用の照明を設置。ジャンル別に立てて飾られており、地震が来た際は並べ直す。また、皮脂が付くと劣化が進むという理由で、人が消しゴムに触るのを嫌う。

 

・数々の著書を出版。『ロマンチック・サイエンス』を始め、『不思議の国のエリコ』『気分はサイエンス』の科学エッセイや、ノンフィクション、絵本の著作活動を続けている。

 

・物心がついた時からチョコレートを食べなかった日はないと豪語するほどのチョコマニアであり、カカオ分を多く含んだチョコレートを常にストック・携帯。ジャンポールエヴァン、ピエールエルメなどの世界的なショコラティエと交流がある。2004年に著書『チョコレート・ダイエット』を発表したことが縁で、2006年3月から2007年10月頃まで明治製菓チョコレート効果のCMに出演。2005年頃から世界各国の著名なショコラティエと交流があり、世界中のチョコレートを食べ歩いている。2016年1月12日放送のTBS系『マツコの知らない世界』でもチョコレート愛について語った。2017年には世界的に有名であるチョコレートの祭典である「サロン・デュ・ショコラ」のアンバサダーを務めた。

 

・南米ペルーにある「ナスカの地上絵」の保護運動に熱心であることでも知られ、マリア・ライヒェを現地に何度か訪ね、日本マリア・ライヒェ基金の代表を務めている。1993年には著書『ナスカ・砂の王国』を出版。 

 

・1988年にドイツのバレエダンサーで振付師のピナ・バウシュの舞台を初めて観て以来、その熱烈な「追っかけファン」となり本人と親交も持った。2003年には『ピナ・バウシュ中毒』という著書も出版している。

 

・デビュー当初から1991年頃までは、おかっぱ頭の髪型がトレードマークであったが、1992年頃から徐々に帽子を被ったり他の髪型にすることも増えていき、2000年頃からおかっぱ頭の髪型には全くしなくなった。なお、このおかっぱの髪はカツラであり、地毛はパーマの掛かったかなり短めのショートヘアだった。

 

・2009年、1990年の番組開始から19年間司会を務めた『世界まる見え!テレビ特捜部』を降板。番組プロデューサーに「若返りを図りたい」と言われたことが降板理由であることを自身のブログで明かした。

 

・「マフィン」という名前の猫を飼っている。

 

楠田枝里子アナウンサーまとめ。

 
 
 
 
 
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・元日本テレビアナウンサー。

・フリー転身後は様々な分野で活躍。

・結婚せずに独身を貫いている。

今後も楠田枝里子アナウンサーの活躍に注目です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

公式サイト

『Eriko Kusuta’s World』

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  1. 今夜8時57分からはTBS系「マツコの知らない世界」でゲスト出演。
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