石川牧子アナは独身!現在はフォレスタ司会者【元日本テレビ】

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今回は、元日本テレビ所属の石川牧子‏(いしかわまきこ)アナウンサーについての情報をリサーチして行きます。

 

石川牧子アナウンサーは、日テレ時代には、在京テレビ局で女性初となるアナウンス部長を務め、アナウンススクール『日テレ学院』の学院長を務め、退職後はフリーアナウンサーとして活動しています。

 

2018年4月25日放送の日本テレビ系バラエティー番組『今夜くらべてみました』に久しぶりにテレビ番組に出演しています。

 

石川牧子プロフィール
出身地山形県鶴岡市
生年月日1949年11月12日(74歳)
身長?㎝
血液型?型
最終学歴東京女子大学短期大学部英語科卒業
活動期間1970年~
ジャンル報道番組
推定カップBカップ
同期

なし

石川牧子アナウンサーの経歴。

石川牧子アナウンサーの経歴は、山形県鶴岡市生まれ。酒田市立第三中学校山形県立酒田東高等学校2年時に宮城県仙台市へ転居。東京女子大学短期大学部英語科を卒業後、1970年4月に日本テレビにアナウンサーとして入社しています。

 

  

日本テレビ入社後は、『ミユキ野球教室』のアシスタント、『元祖どっきりカメラ』、『こんちゃんのトンカチうたじまん』などの番組を担当。1977年から始まった『アメリカ横断ウルトラクイズ』の総合司会を俳優の高島忠夫と1988年(第12回)まで務めています。

 

1978年4月からは『NNNジャストニュース』のキャスターを2年間務め、1980年には、アフガニスタンの女性難民の取材に西側としては初めて成功しています。

 

その後、スポーツ実況に挑戦。『横浜国際女子駅伝』、『新体操ワコールカップ』、『実践ゲートボール』で女性初の実況を担当。1991年の『世界陸上東京大会』では、女子10キロの競歩の実況を担当しています。

 

1996年には、アナウンス副部長に昇進、翌1997年には在京テレビ局では女性初となるアナウンス部長に就任しています。(~2001年5月)

 

2001年6月からは、日本テレビアナウンス部を離れ、日本テレビエンタープライズ常務取締役、『日本テレビアナウンスカレッジ』学長に就任。アナウンサーコース講師としても活動。2005年には、日本テレビエンタープライズ常務取締役『日テレ学院』学院長に就任。2007年には、日テレイベンツ常務取締役『日テレ学院』学院長に就任。(社名・スクール名が変更)

 


日本テレビ退職後の活動。

 

2014年6月4日、日テイベンツ常務取締役並びに日テレ学院長を退任。日テレイベンツ非常勤顧問、ニチエンプダクション所属(現在は退所)のフリーアナウンサーとして活動。その一方では、医療法人社団RMDCC理事、NPO法人日本マナー・プロトコール協会理事、公益財団法人日本ゲートボール連合理事、日本アビリティーズ協会評議員、東京女子大学評議員も務め、仙台大学客員教授、拓殖大学客員教授なども務めています。

 

2016年11月25日放送のTBS系『爆報!THE フライデーあの人は今…大追跡SP』にスタジオにゲスト出演。番組では日本テレビ退職後の現在の活動に1日密着。この日は所沢市にある施設を訪れ、プロのオペラ歌手が童謡や歌謡曲を歌う人気コーラスグループ『フォレスタ』の公演の司会を務めています。石川牧子アナは同グループの専属司会者として年間80公演に同行し全国を飛び回っていると紹介。また、スタジオでは結婚トークとなり、石川牧子アナは現在独身であることに「1人でいることが楽しい」と話しています。

 

同番組では、20年間パーキンソン病と闘病している『なごり雪』で有名な歌手イルカの夫について特集。石川牧子アナ自身も日本テレビ在籍時の40代(1991~1998年)からパーキンソン病の母の介護で実家のある仙台と東京を公休日の毎週2日間を7年間往復するという遠距離介護生活を送っており、「うちの母と似たような症状で、私は7年間だけでしたが、イルカさんはもっと大変な思いをしていた偉大さがある」と話しています。

 

バラエティー番組『今夜くらべてみました』に登場。

 

2018年4月25日放送の日本テレビ系『今夜くらべてみました』(ゲストは桝太一、森富美、滝菜月)に出演。森富美から「レジェンドだと思うアナウンサー」として名前を挙げられ、68歳となる現在も現役バリバリとして紹介されています。

 

 

何より恐れられていたのは後輩アナへの厳しい熱血指導。鬼教官の異名を持つ。(新人時代の羽鳥慎一馬場典子を泣かせた有名シーンを紹介)

 

      

 

スタジオに登場するとゲストの3人は直立不動。

 

 

日テレ学院時代に指導されたという桝太一は、MCの後藤輝基から「怖いんでしょ?」と聞かれると「後藤さん無理です…」と恐怖の表情を浮かべた。滝菜月のこの日の髪型について少し気になるといい、バラエティー番組だから良いが、これでニュースを読んだら視聴者の耳に入らないと指摘。

 

 

続けてMCの後藤から「枡くんはいかがですか?」と、桝にいて聞かれると「ちょっと早口なところがありますね。超高齢化社会なのだから少しテンポを下げる場面があったほうがいい」とダメ出し。

 

 

枡は「昔から直らずに…」と反省の弁を述べようとしたところ、すかさず「直さないんじゃない?」と厳しい一言。

 

 

スタジをが一瞬凍りつくと枡は「そうですね…昔からいろんな先輩からご指導頂いたのに直ってないのは意識が足りないものだと思っています」と弁明。

 

 

後藤が枡に触れると「ガチガチや!熱っー!ここにあさり置いたら殻開くで」とボケて笑いを誘った。

 

他のエピソードなど。

 

・きょうだいは、4人姉弟の次女で姉、弟が2人。

 

・子供の頃から好奇心旺盛で陸上や水泳、バレーボールなどをしており、女医や陸上のオリンピック候補や外交官や通訳などになりたかった。中学校時代に英語の魅力に嵌り将来は英語力を活かした職業に就きたいと思っていた。

 

・中学校では放送部員に選ばれ、お昼に構内放送したりしていた。NHKで放送されていたイタリアのサンレモ音楽祭の中継映像のナレーションや女性アナウンサーの仕事ぶりをテレビで見たことがきっかけでアナウンサーという職業に憧れを持った。また、出身地・山形の方言にコンプレックスがあって、共通語を話す人になりたかったから。

 

・英語を学ぶために短大に進学したが、自身の英語力が周囲に比べ劣っていることを悟り日本語で勝負をしようとアナウンススクールに入学した。

 

・入社当初は男尊女卑の環境で、男性とニュースを読む際には、女性は男性より1mくらい下がって読むという決まりだったという。

 

 

・日本テレビ時代には、肌の色が白かったのでカメラの白色の調整を石川アナの顔でやっていたという。

 

 

・高倉健や小泉純一郎など幅広い著名人にインタビューしてきた。

 

・30代のときにはアナウンサーとしては致命的な「顎関節症」に悩まされた。

 

・『横浜国際女子駅伝』を実況した際には、視聴者から「女性の声は実況に合わない」という内容の講義文が大量に届いたという。

 

・2000年12月には、著書『お母ちゃんが起きられなくなった―東京仙台遠距離介護記 パーキンソン病との7年間の闘い』を出版。

 

・2001年に子宮筋腫の手術を受けている。2002年に著書『先生、切ってください!―これからの人生のために 子宮筋腫闘病記』を出版。

 

・2003年には『言葉って生きているから面白い』を出版。

 

・2010年には『あなたの言葉はなぜ相手を動かすことができないのか? 』(ワニブックスPLUS新書) を出版。

 

 

・現在仕事以外で夢中になっていることは、モンゴルの伝統楽器委・馬頭琴(ばとうき)。「人前で弾くのが人生で2回目」と話し披露した。

 

・2014年6月22日の『人生が変わる1分間の深イイ話』に出演。そこで日本テレビ系の番組にもかかわらず事前アンケートの「好きな女子アナを1人、教えてください」という項目に「赤江珠緒」と書き、翌7月16日のTBSラジオ『赤江珠緒たまむすび』で共演。「日本一の女性アナウンサー」と絶賛している。

 

石川牧子‏アナウンサーまとめ。

 

・元日本テレビアナウンサー。

・在京キー局では女性初となるアナウンス部長を務めた。

・鬼教官として恐れられた。

 

今後も石川牧子アナウンサーの活躍に注目です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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