今回は、サンミュージックプロダクションに所属する小林アナ(こばやしあな)についての情報をリサーチしていきます。
小林アナは、元新潟テレビ21(UX)アナウンサー。退職後はお笑い芸人として活動する一方で、ラジオパーソナリティとして活動しています。
小林アナプロフィール | |
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出身地 | 長野県佐久市 |
生年月日 | 1981年12月18日(37歳) |
身長/靴のサイズ | 161㎝/23.5㎝ |
スリーサイズ | B90-W63-H88(cm) |
血液型 | A型 |
最終学歴 | 上智大学外国語学部ロシア語学科卒業 |
活動期間 | 2004年~ |
推定年収 | ? |
推定カップ | Dカップ |
趣味
カラオケ、パチンコ、貧乏一人旅
特技
水泳、エロ早口言葉、ケーブル巻き
モットー
「明るく、元気に、楽しく、品よく、そして豪快に!!」「やれば絶対出来る!」
資格
英検2級、漢検3級、剣道1級、きのこ検定3級
出演番組(過去含む)
・FM NACK5『ラジオのアナ〜ラジアナ』月曜『小林アナのあげあげマンデー』
・FMヨコハマ『RADIO SHOPPING』
小林アナの経歴。
小林アナの経歴は、長野県佐久市出身、佐久長聖高校を経て、上智大学外国語学部ロシア語学科を卒業後、2004年10月にテレビ朝日系列局の新潟テレビ21(UX)に本名である「小林聖子」名義でアナウンサーとして入社しています。
大学時代には、東京アナウンスセミナーを受講しアナウンス技術を学んでいます。(2009年7月29日放送の日本テレビ『エンタの天使』に出演した際、MCだった松尾英里子(元日本テレビ)に「(東京アナウンスセミナー時代の先輩なので)知り合いです」と言われたことがある。)
新潟テレビ21在籍時には、バラエティー番組の『フィット姉さん』のコーナーで、レオタードに金髪のかつら姿で出演しています。同局には2007年9月まで在籍。アナウンサーを辞めた理由については、「社内恋愛で失敗した」と述べています。
退職後は、お笑い芸人に転身。2007年10月からヒューマンアカデミーに入校。男女コンビ『ノーブランド』のボケ担当でした。同アカデミー主催の公開オーディションでサンミュージックプロダクションに指名され、同社所属となります。その後、ピン芸人となり、主なネタには「地方アナウンサー」を題材にしたものや身の周りの話に基づくといわれることを特技の早口言葉にして披露するもの。色々な事柄を「アナウンサーの場合」「芸人の場合」としてその違いを言うものなどがあります。
2010年10月から埼玉FMNACK5『The Nutty Radio Show おに魂』木曜日パーソナリティを務め、ラジオパーソナリティーとしても活動。2015年4月1日からFMNACK5『GOGOMONZ』の2代目女性パーソナリティを2016年9月29日まで務めています。聴取者からは、話し上手で下ネタを意に介さないキャラが面白いと好評で卒業する際にはネットで話題になりました。(本人はクビにされたと言っている)
翌10月からは『ラジオのアナ〜ラジアナ』月曜日パーソナリティ『小林アナのあげあげマンデー』にレギュラー出演しています。
小林アナの彼氏や恋愛エピソード(経験人数を仰天告白)
・小林アナは現在独身だが、太田プロダクション所属の芸人仲間で4歳年下のテラシマニアック(本名:寺島準)が彼氏であることを公表しており、SNSやお笑いライブやラジオで普通に共演している。好きなところは顔でメガネ男子が好きだという。
・2013年10月14日放送のTBS系『私の何がイケないの?』「女盛り30人ワケあり私生活告白!女の2択SP!」の回に出演。そこで「50人以上と付き合ったことがある?」という質問に、出演者30人の中で3人が「ある」と答えた中で、自ら名乗り出てその詳細を語った。MCの有田哲平から「10歳とかのやつ(恋人)は入れてないでしょう」と確認されると、小林アナは「成熟してからです」「女子アナ時代からそうでした」と、当時31歳までの交際人数が「50人以上」であることを告白した。共演者の森三中・村上知子から「成熟してからのお付き合いってことは、ある程度の行為を50人と?」と質問されると「そうです」と認め、周囲を驚かせた。続けて江角マキ子から「彼氏がいないと…1人がダメなんですか?」と質問されると小林アナは「恋愛体質なんです」と答え、さらに恋人なしではいられない「寂しがりや」だと説明している。また、番組後半には、小林アナの元恋人も登場。7年ほど前に2年間ほど付き合ったというこの男性から「フラれ際に、僕があげたバッグを『これ返すから、金貸してくれ』みたいな…」と別れ際のエピソードを暴露され、「ほんと、すいませんでした…」と謝罪している。また、共演者の田中みな実(当時TBS)の年収を800万円と予想した。
・学生時代から基本モテてきたと公言。2015年11月26日放送の『GOGOMONZ』で経験人数は52人と言っていた。
小林アナが乳がんを告白。
・2013年4月に乳がんが発覚。同年7月4日には、自身のブログで乳がんに罹患していたこと及び癌切除と乳房再建の手術をしたこと公表。(公式ブログ:私、乳ガンになりました。)
・2013年11月29日の『女性自身』では、同じ乳がん経験者で先輩芸人の山田邦子との対談で、治療方法や再建までの費用面について明かしている。
小林「私の場合、総額で100万円ほどかかりました。右胸の全摘出同時再建手術と一緒に、右胸に合うように左胸も豊胸したんです。乳がんの手術自体は17万〜18万円くらいだったと思います。全摘出したおかげで手術してからは一切お金がかからないです」
・現在は健康になりトークのネタにしている。
@nganta 右乳は乳がんで全摘したので
400CC、左乳はそれに合わせて豊胸したので 150CC入ってますね。
確かに肩凝りますね〜。— 小林アナ (@genkobiribiri) 2014年1月14日
・2015年10月19日放送のTBS系『私の何がイケないの?』「乳がんと闘う芸能人!佐々木健介が語る北斗の決意」の回に出演。アグネス・チャン、園田マイコとスタジオ出演し、乳がん体験を告白。小林アナの場合、乳房を圧迫板でのばしてレントゲン撮影するマンモグラフィ検査を受けた際、しこりはなかったが2週間後、『両側不明瞭集簇性分布の石灰化あり精密検査を受けてください』と知らせが来て、その後に受けたマンモトーム検査において、がん細胞が点在していたことが発覚。医師から『右乳房非浸潤性乳管がん』と宣告された。しこりのなかった小林アナだが、がんが乳房内に点在している可能性が高いとして医師からは右乳房全摘出をすすめられた。胸を失いたくないという考えだったが、1回の手術で乳がんを取り除きなくなった胸も再建する「乳房同時再建手術」を受け、術後も胸があることに感動したという。手術から2年経ち見た目も美しく再建されたが、小林アナは、感覚の違いなどは今も感じると話した。乳房同時再建手術は保険適用が認められ、高額療養費制度によって費用負担が軽減されていると説明している。また、術後は、転移の可能性がないとして無治療だという。
小林アナの実家や他のエピソードなど。
・長野県にある実家は、ブティック『J-house』を経営。父親は宝石商で母親(若い頃乳がんを経験)が仕入を担当している。
・親戚には叔父で漫画家の大島やすいち。従姉に漫画家の大島永遠と三島弥生がいる。
・芸人になったきっかけは、元プロ野球選手のパンチ佐藤と仕事で一緒になった際に、リアクションの凄さに感動して「あの人のようになりたい」と思ったから。
・同じ事務所の先輩芸人メイプル超合金の安藤なつを「なつねぇさん」と慕いよくSNSに登場する。
・芸人コンテストでの実績は『M-1グランプリ2008』に木村晃健とのコンビ『ランニングパス』で出場し2回戦で敗退。また、『R-1ぐらんぷり』は、2009は1回戦敗退、2010は2回戦まで進出。2011は準決勝まで進出。2016は2回戦敗退。
・2008年10月9日放送分からGyaOジョッキー『超サンミュージック 貴族ナイト(髭男爵ナイト)』に出演した。
・テレビ朝日系深夜バラエティー番組『『ぷっ』すま』には、2回出演したことがある。(2010年2月9日放送の「ザ・ギリギリマスター! ギリギリ女芸人」、2013年3月1日放送の「独り身女芸人対抗彼めし選手権」)
・『D1グランプリ2011』のイメージガール「D-Sign」(レースクイーン)を務めた。
・局アナ時代には月収30万円ほど貰っていたという。芸人になり始めた時は司会業を含め月収15万~20万円くらい。親から仕送りを貰いバイトもしていた。
・2017年2月22日放送のTBS系『水曜日のダウンタウン』に出演。「若手芸人「50音の何を言われても◯◯で返すネタ」についつい手を出す説」で「スクワットをしながら早口言葉」を披露した。
・2018年4月24日放送のフジテレビ系クイズ番組『潜在能力テスト』に「インテリ女子アナ軍団」(亀井京子、神田愛花、草野満代、小島慶子、篠原梨菜 、富永美樹)の一員として出演したが、SNSでファンから「なんでインテリ女子アナ?」「芸人じゃないの?」と突っ込まっれている。
・2019年12月14日放送のフジテレビ系『ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ2019』で、ガンリキ・佐橋大輔、コング、こばんざめ佐藤らと組んで出場して第3位入賞した。
小林アナまとめ。
・元新潟テレビ21アナウンサー。
・お笑い芸人として活動する一方でラジオパーソナリティとしても活動している。
今後も小林アナの活躍に注目です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
新潟テレビ21在社の局アナ時代としても本名は「小林聖子」でした。