恩田千佐子アナの死別した夫(旦那)や子供は?乳がん休養から復帰!中京テレビ

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今回は、中京テレビ放送(CTV)に所属する恩田千佐子(おんだちさこ)アナウンサーについての情報をリサーチしていきます。

 

恩田千佐子アナは、1990年入社のベテランアナウンサー。長年同局の夕方ワイド番組『キャッチ!』のメインキャスターを務めており、同局の顔とも言える女性アナウンサーです。2017年11月には、自身が乳がんを患ったことを報告。手術後、1度復帰したもの12月20日から再び休養期間に入り、2018年3月19日に復帰を果たしています。

 

恩田千佐子プロフィール
愛称恩ちゃん
出身地東京都小平市
生年月日1967年9月4日(56歳)
身長?cm
血液型A型
最終学歴青山学院大学文学部卒業
活動期間1990年~
推定年収?
推定カップCカップ
趣味

映画、漫画

好きな言葉

臥薪嘗胆(受験勉強中は目の前に貼っておいた言葉)

同期

・佐藤啓

出演番組(過去含む)

・『キャッチ!』メインキャスター

恩田千佐子アナの死別した夫(旦那)や子供は?乳がん休養から復帰!中京テレビ

恩田千佐子アナウンサーの経歴。

 

恩田千佐子アナウンサーの経歴は、東京都小平市出身、東京の私立女子中学・高校を経て、青山学院大学文学部を卒業後、1990年4月に愛知県名古屋市に所在する日本テレビ系列である中京テレビ放送(CTV)にアナウンサーとして入社しています。

 

中京テレビ放送入社後は、平日朝の情報番組『おはようテレワッサン』のキャスター、平日夕方の報道番組である『中京テレビニュースプラス1』のメインキャスター、降板後も2003年からリポーターとして出演しています。

 

1990年10月6日から1992年9月26日までの間には、毎週土曜日朝放送の『生活情報クイズ 知って得Q便!』のアシスタントを務めています。

 

そして、1994年4月10日より、毎週日曜日に放送されていたタレント・高田純次、上沼恵美子出演のグルメバラエティー番組である『P.S.愛してる!』のアシスタントを2001年9月30日まで務め、後番組『P.S』には不定期で出演しています。

 

その後、2002年4月1日から2003年3月28日まで放送された平日昼前の生活情報番組『ほっとてれび』のメインキャスターを務めています。

 

2005年10月15日からは、毎週土曜日の料理番組『作ろう!食べよう!わんぱくドリーム』の司会を担当。ゲストや小学生たちと一緒に料理を創っています。その後、2006年4月3日から2007年9月28日までは、俳優の別所哲也が家庭で簡単にできるさまざまな料理をスタジオで作る料理番組である『ピアット』の3代目アシスタントを担当しています。

 

その一方では、『中京テレビNEWSリアルタイム』にリポーター・ナレーターとして出演していましたが、2009年3月16日からは同番組のメインキャスターを務めています。

 

また、2007年10月より、平日昼のワイド番組『情報ライブ ミヤネ屋』に「ミヤネ屋ナゴヤ店店長」として出演。大阪の読売テレビで他局の番組に初出演をしています。2008年9月からは『中京テレビNEWS』の前期キャスターを務め、これが縁で『情報ライブ ミヤネ屋』の東海3県からの中継にも参加しています。

 

また、24時間テレビ『愛は地球を救う』では、中京テレビローカルパートの司会を務めています。また、『news every.』中京テレビローカルパートのメインキャスターを経て、2012年4月2日からは、同局では初の夕方ワイド番組である『キャッチ!』のメインキャスターを務めています。

 

2013年3月21日には、『第34回NNSアナウンス大賞』にて最優秀パーソナリティー賞を受賞しています。審査結果はテレビ部門大賞を受賞した松井礼明(福岡放送)と同点であり、甲乙付けがたかったことから審査員特別賞として恩田アナに同賞が贈られています。

 

2016年公開のディズニー映画『ファインディングドリー日本語吹替版』では、「黄色い魚1」役で出演しています。

 


恩田千佐子アナウンサーが「乳がん」であることを報告。

2017年11月10日には、『キャッチ!』生放送中に自身が早期乳がんの手術を受ける為、翌日から30日まで休養することを報告しています。自身のブログによると、8月から身体の異変に気づき、乳腺外科に通い始め検査したところ、右乳房に悪性腫瘍があると診断され、右乳房全摘出と乳房再建の同時手術を受けると公表しています。

 

その後、11月30日の退院同日に、報告どおりに『キャッチ!』に復帰。番組では2日間に渡り、恩田アナの密着ドキュメント『乳がんと闘った56日間』が放送されています。

 

 

しかし、12月19日に自身のブログで翌20日から「手術後の治療と休養のため」に、少し長めの休養期間に入る事を報告しています。

 

恩田千佐子アナウンサーが『キャッチ!』に復帰!

 

その後、2018年3月19日に3ヶ月ぶりに『キャッチ!』に復帰しています。また、同日の公式ブログでは、改めて3カ月間の経緯を報告しています。

11月に乳がんで右乳房全摘とシリコン乳房再建をしたものの、私の皮膚がシリコンの重みや圧迫に耐えられずに、傷口が裂けてしまいました。そのまま維持できないので、シリコンを出す手術をしました。

 

その傷がなかなか治らなかったことと、リンパ節切除により右腕が上がらなくなり、そのリハビリをが上手く進んでいなかったことで、長く休ませて頂来ました。今はほぼ傷はふさがりました。リハビリは完全ではありませんが生活するのには不自由ないくらいに回復しました。乳がんの治療は今後も長く続きますが、通院でできるものなので仕事復帰に踏み切りました。

引用:『恩ちゃんの生きる糧』

同番組のTwitterでは、視聴者から「恩田さん、おかえりなさい」「元気なお顔見れて安心しました」と喜びのコメントが多数寄せられており、改めて恩田アナの人気の高さが伺えます。

 

 

2019年6月23日には、日本テレビ系『NNNドキュメント』で、恩田アナの乳がん闘病に密着した『私、がんになりました。アナウンサーの乳がん闘病記』が放送されています。

 

 

同年10月15日、21日には『Oha!4 NEWS LIVE』に出演。番組キャスターの日本テレビの郡司恭子アナから取材を受けています。

 

 

2020年10月8日には、日本テレビ系『スッキリ』にリモートで出演。闘病のVTRが紹介されています。また、現在中京テレビでは、乳がんで悲しむ人を一人でも減らそうと、正しい知識と検診の大切さを伝えている「ススメプロジェクト」を発足。7月に発売された書籍『一歩先へススメ:本当に知っていますか! 乳がんを早く見つけるための知識』を紹介しています。

 

 

2021年11月25日には、日本テレビ系『ZIP!』の中継コーナー「NOW!ニッポン」に出演しています。

 

2022年4月からは、『キャッチ!』月~木曜日メインキャスター、金曜日は中継を務めています。

 

恩田千佐子アナの結婚相手の夫(旦那)や子供について。

 

恩田アナは、1993年頃に同局のカメラマン、後にプロデューサーを務めた男性と社内結婚をしています。挙式は明治村のザビエル教会で挙げたといいます。

 

その後、1997年10月から産休に入り、当時担当していた『P.S.愛してる!』で長女(琴子)出産から育児の様子を密着ドキュメントで放送しています。(夫が撮影?。20%超えの視聴率だった)その後、2001年?12月から産休に入り、長男を出産しています。

 

2007年頃には、夫が膜下出血で他界。恩田アナは未亡人となり、シングルマザーとして働きながら2人の子供を育てています。

 

人物・他のエピソードなど。

 

・小学生の頃からアニメ好きでアニメソングの歌手や声優に憧れ、中学3年生の時に声優教室に週1回、半年間通った。大学時代には、芝居活動をしていた。

 

・大学時代には、アナウンス研究会に入り、サークル経由で歩行者天国のアナウンスや子どもショーの司会、選挙のウグイス嬢のほか、家庭教師、ウェイトレスなど20種類ぐらいのアルバイトをしている。

 

恩田千佐子アナウンサーまとめ。

・長年一線で活躍。中京テレビの「女帝」とも呼ばれている。

・2児の母親でママアナとして主婦層に支持されている。

・自身の出産、乳がん手術をドキュメントで放送した。

今後も恩田千佐子アナウンサーの活躍に注目です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

公式ブログ

『恩ちゃんの生きる糧』

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  1. 今は大丈夫ですか?私は21年前に息子が3歳の時に左胸の乳がんになりました。全摘で先生と何度も話し合いしました。幸いに抗がん剤は使用しませんでした。昨年8月に右胸乳がんで全摘、今回は女性ホルモンに関係する抗がん剤を服用、息子も25歳になり物凄く頼もしかった。息子の成長を垣間見た。あなたとおマジ用にシングルマザーです。現在66歳です。
    ガンと共存できると向き合いましたが、抗がん剤の副作用に苦しみながら黙々と仕事をしました、調子が悪い時もありでも歯を食いしばり笑いながら働いた。時々仕事を休みそのことが男性の上司には、、、、、出勤日数を盾に遠回しに退職を迫られた。これが現実。でも22年前の時よりはすべてが理解が増えている。手術も物凄く進んでいることを自分の身をもって感じた。進歩、皆さんもいつも体調をチェックして注意いてください。ストレスもほどほどに。
    ただ」前だけを向いて進むだけ。生きていることに感謝です。まだ疲れた時にはまっすぐに歩くことが大変、今は筋肉痛、関節炎のと共存共栄しています。お体を大切に

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